カウントダウン!一澤信三郎帆布 Vol,2
いよいよ師走、
今週も登場 某課長こと“イエローカードT”です。
一澤信三郎帆布 in YAMAKATAYA
今週のテーマ
“調べてみたら・・・な・ナ・Naなんと驚くべき事実・・あなたはその歴史に出会う”
信三郎帆布猛勉強時、ある本に帆布の機械織を最初に手がけたのは、
な・なんと我がふるさと“薩摩藩”と記載あり、この詳細を確かめたく、
いてもたってもいられず尚古集成館 館長様に 会いに行ってきました。
ここでもまたまた勉強
なぜ、薩摩藩が機械織帆布の製作を始めたかというと、一つは帆船の“帆”だったんです。
幕末から明治にかけて外国の脅威にさらされた日本、特に薩摩藩は、いち早く富国強兵
を目指す。薩摩藩の開国の方針は、留学生の派遣、紡績機械の輸入、
そして軍艦の購入、その軍艦(帆船)をつくる上で帆布は必要、そこで帆布の機械織を
始めた。その後、イギリスから購入した機械で日本初の近代紡績工場が鹿児島で操業、
「その機械(梳綿機)は今尚古集成館本館に展示してますよ!」と館長が・・・
その梳綿機こそ、な・ナ・Na・なんと、
その当時の山形屋製綿工場(現在カクイ株式会社)
の所有でした・・、
あまりの運命のいたずら、いや歴史との出会いに身震いと鳥肌が・・・、
私は歴史の世界へと完全に吸い込まれて行きました・・・
信三郎帆布を鹿児島のお客様に見て頂きたい・手にとって頂きたい、
鹿児島に出店して頂きたい、
薩摩で生まれた帆布が全国に広がり、
京都一澤信三郎帆布で花開き
そして鹿児島に里帰り
その思いを胸に京都に飛び・・なんと信三郎代表に会えることに
この想いを伝える・・・。
緊張して今思い出しても何て言ったのか・・・思い出せない・・・。
しまった・・、
前回も周りに「こんな長いブログだいがみっとよ」言われたので・・・
この続きは次回・・・。
●難産な子供ほどカワイイ “出店記念特別限定品”紹介に続く・・。
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